カルカッタ、摂氏50°。

テレビではアスファルトが溶け出しその粘土のようになってしまった道に足をとられ転倒する老婆の映像が何度も繰り返し流れていた。

外の気温は50度を超えるという。

僧侶な日中は日陰で寝そべり、労働者は駐車場で涼んでいた。幾分かはマシなのだろう。

 

 

ハー、アナタハ神ニアッタコトガナインデスカ?
ワタシハアリマスヨ。

酷く痩せた老婆のような僧侶が私の問いに答えた。

 

貧乏人ハ神ヲミルト聖書ニカイテアルデショウ。
インド人ハ貧シイデスカラネ。

 

 

東日本大震災がなければ僕はインドに来ることはなかった。

 

カルカッタにいる。

カルカッタには東京から上海、そして昆明と何度も乗り継ぎながらやってきた。

 

「エアインディアなら直行便もあるし、バンコク経由が王道に感じるけどね」

と毎年インドを旅する世捨て人が教えてくれたのだが僕はあえて中国経由を選んだ。

西遊記の気分になる。

 

カルカッタは世界最悪の都市だとイギリス統治時代にいわれている。

人口が過密し伝染病が繰り返し発生したためだ。

死体が街に溢れていたという。

 


田舎の檀家も数える程の寺を継いでくれないかと子供の頃から何度か。大谷の和尚に請われた。京都の学校にも行かせてくれるという。

両親ははぐらかし和尚さんが臨終間近でも首を縦に振らなかった。

 

「ほんと真宗は楽なんだけどね」

和尚が呟く。

浄土真宗の開祖ご自身が悟れないと比叡山を降りて肉食妻帯の破戒を行った。

悪人でも仏に帰依すれば救われることを証明するためだそうだ。

だから真宗の僧侶はよく生臭(なまぐさ)坊主とよく陰口で叩かれる。

 

かの社会学者の宮台真司教授の先生に真宗の教師がいたそうでその蛮勇ぶりがご著書で褒め称えられている。

京都の僧侶は祇園に法衣の着物のまま遊びにいくと有名だが、ご多分に漏れず真宗の僧侶には「飲む」「打つ」「買う」を平気で行う僧侶も多いという。

よくいえば祖師のように悪人でも救われる事を証明しようとしているのかもしれない。

 


早稲田の学生だったことが自慢の祖父の本棚から子供の頃いくつかの本が目にとまった。手塚治虫ブッダと、えんどコイチの死神くんである。

ブッダを読むと何とも情けないインドの王子さまが家出して苦行して悟る物語だった。
そこには神としての釈迦ではなく一人の人間であるゴータマ・シッダルタ王子が描かれており、もしかしたら自分も30歳半ばには悟れるんじゃないかと一抹の希望を与えてくれた。

 


私は中学生になると直ぐに全校生徒の前で放屁をしてしまう失態を犯し自殺したほうがよいのか真剣に考えた。本気で高校にも行けず働けなくなるのではと危惧したのだ

夏休みになるとやはり一度死んだつもりで頑張り駄目なら自殺を決行しようと結論づけた。そして『ブッダ』を取り出しては苦行に耐えている気分を味わった。

 


「なんでバラナシなんて行くんだ。あそこはトンデモナイところだ。カルカッタにいればいいじゃないか」。バラナシ行きの電車を手配すると親切なインド人が呟いていた。


やはり飛行機で移動すればよかった。インドの寝台列車に乗り直ぐに後悔した。

バラナシで降りられる自信が直ぐに打ち砕かれた。

 


ハー、アナタハ神ニアッタコトガナインデスカ?
ワタシハアリマスヨ。

酷く痩せた老婆のような僧侶が私の問いに答えた。

貧乏人ハ神ヲミルト聖書にカイテアルデショウ。
インドジンハマズシイデスカラネ。

 


いやーこりゃメッチャ熱いですね。火傷するんじゃないですか?

お寺の大理石が熱波で異常な高温になっていた。
鉄板の上でもあるいているようだ。

 


スワミビベカーナンダはインドの英雄である。
イギリスに統治され民族との自信を喪失していたインドの貧しい青年がアメリカに渡りアメリカ人に認められたのだ。
そのビベカーナンダは途中で日本に立ち寄り近代化した日本の姿に感激した。

 

あるチベット人は日本人が作り出した建築物を眺めて神々が住まう場所のようだと感想を漏らしている。

しかしなぜその神々にチベット人が仏教を教えているのか不思議のようだった。

 

 

暑さにやられてぼんやりとした頭のなかでサルナート鹿野苑にいる。

鎌倉や奈良のような巨大な仏像を眺めながら段々とシヴァ神ブッダ像が重なって見えてきた。

あの悪鬼のようなシヴァ神はブッタが捨てた暴力性を保持しているだけではないか。

シヴァもブッダのように真面目なヨガの修行者なのである。

 

非暴力主義者のブッタはインドから消え去った。

砂漠の神に抹殺されたのだ。