【佐藤優教授】【「教会論」の課題】 なぜキリスト教の教会は複数存在しているのか。その上で、エキュメニズムについて。

ナザレのイエスが存命(存在していた事を仮定して)していた時にでさえ、ユダヤ教には複数のセクトが存在し、バプテスマのヨハネナザレのイエスが所属していたセクトユダヤ教正統派ら迫害されていた。預言者エリヤの生れ変りだとされたバプテスマのヨハネは投獄され打ち首になり、メシアだと称されたナザレのイエスは呪われたものとされる十字架刑に処された。
 
ナザレのイエスの活動中、シナゴーグユダヤ教の教会)に度々訪れている記述があるが、宣教の中心は山上の垂訓に見られるように屋外、ガリラヤ湖が中心であり、一人もしくは数人の弟子を伴ってエルサレムの神殿から近いオリーブ山で祈っている。
 
パリサイ派サドカイ派のようなユダヤ教の主流派ではないナザレのイエスの舞台は神殿や教会の屋外である。
 
それからナザレのイエスが天の父の下に昇天した後に使徒達によってユダヤ教の一つの非正統的なセクトはイタリアやローマなど地中海沿岸の都市群へ宣教を行い、ローマ帝国に公認されナザレのイエスをメシアだとするキリスト教が誕生した。
 
そしてローマ皇帝は複数存在していたキリスト教セクトを皇帝の権威により、父と子と聖霊は同一であるとする三位一体を基本としたローマ・カトリックに統一された。それでも従わない場合は異端の信仰として異端審問に処されることになる。
 
カトリック普遍的な教会に権力が集中する事で多くの悲劇的な事件が起きた。その結果として宗教革命が起こり、実に様々なキリスト教セクトが存在する。
 
絶頂を極めたローマ・カトリックに陰りが見え始めた出来事であるカイラスの一つにリスボン地震やペストの蔓延があるといわれている。
 
ローマ・カトリックの影響力が低下して、世界を二分していたカトリックのスペインやポルトガルという太陽の沈まぬ国からプロテスタントの影響力が強いフランス、イギリスやオランダなどの新勢力に覇権が移っていくことになる。
 
プロテスタント新教といえども佐藤優教授が所属するカルヴァン派から、ハーバードや同志社の会衆派など複数のセクトが存在する。
 
他にもプロテスタントからも異端視されているアメリカのモルモン教会や韓国の統一教会がある。両宗派には政治的な影響力も大きく、モルモン教徒には世界的にベストセラーになったビジネス書の『7つの習慣』や共和党アメリカ大統領候補に選出された人物もいる。また韓国の統一教会のイベントに日本の総理大臣だった安倍晋三総理もビデオメッセージを送っている。
 
 
しかしながらどこまでセクトの多様性を容認する事ができるのだろう。
 
ユダヤ教徒にとってキリスト教ユダヤ教の異端のセクトに過ぎず、ローマカトリックにとってプロテスタントそのものが異端とも考えられる。
 
そこでエキュメニュカルな活動を通して相互交流をはかることでセクトの多様性を認めながらも相互に統一の活動を行えるような可能性を探れるのではないだろうか。
 
またカトリックプロテスタントのエキュメニカルな活動だけではなくプロテスタント内部にもエキュメニズムが必要とされている。
 
わたしはキリスト教徒の場合にはカトリックのドグマ教義が土台になり得るのではないかと期待している。ローマ・カトリック教会が定めた絶対的に正しいとされるドグマを通して学ぶことで、プロテスタントの相違が明らかになり対話すべき論点があきらかになるからだ。
 
ただし注意が必要なのはユダヤ教にとっては旧約聖書そのものではなく口伝といわれるタルムードも重視されているように、カトリックのドグマもキリスト教父の理解が不可欠である。
 
複数の教義が散在するドグメン的な世界ではカオスになってしまいエントロピーが高くなってしまう。
 
プロテスタントの宗教革命に誘発されてカトリックの対抗革命としてイエズス会カルメル会が起きカトリック教会も信徒に神父の権限が委譲されるようになってきている。
 
複数の教会に分裂した現状が本来のキリスト教徒として有るべき姿ではなく、キリストの身体のもとにひとつである事を体現するためにエキュメニュカルな運動というのは大切なものであり、カトリックプロテスタントの垣根を越えて相互に交流し尊重する必要がある。
 
エキュメニカルな対話を通してその不可能の可能性を挑戦するというミッションが既存のキリスト教セクトに与えるポジティブな影響力に期待してやまない。