【雑記】認知症の高齢者に見られる悟りについての一考察
【追記】2021年3月14日
- そうそう思いだした。認知症というと一般的にはアルツハイマーが浮かぶ。近年はレビー小体型認知症が小坂憲司博士によって1995年に発見されたのだそう。さらに認知症の原因疾患となると100種類以上あるらしい。
- レビー小体の特徴として幻視や幻聴が挙げられる。だから日本の昔話でお寺の高齢の和尚さんが「子供が走っているのが見える」なんていう座敷童もレビー小体型認知症だったりするかもしれない。
【本文】
- 鎌倉にお寺を構えた小池龍之介・和尚が「解脱する」と宣言しサンニャーシ世捨て人になり本当の家出をした。
- そして1年足らずで挫折し「魔境に陥っていた」と懺悔した。
- その数年前には小池和尚は浄土真宗を破門されている。おそらくヴィバサナー瞑想などに傾倒していた為だと思われる。
- 若い人間が「悟った」等と言うと袋叩きに遭う。老いた高僧でも「いやいや悟りなどとんでもない。一生修行です」みたいな事を言わないと寝首を搔かれない。
- 仏教界はそんな世界でもある。
- わたしはRitsを中退するかどうか迷っていたころ京都の国際禅寺に籠った。
- 一日毎に料金が課金されていくので二泊三日ぐらいの滞在だと思う。
- 文字通りの三日坊主である。
- あ、三日坊主というのは続かない奴と解釈されることが多いが、三日でも真剣に修行すれば悟れる可能性もあるという意味でもある。
- もちろんわたしは悟れなかった。ただ般若心経を読経や写経するようになった。起きた変化はそれだけである。我ながらキモイのだが今でも般若心経などいくつかの短い経典を暗記している。
- さて、悟った人などいるのかとそれから日本中探しまわったがよくわからなかった。悟った人間にしか悟っているかどうかわからないというからわたしにはわからないかったのだろう。
- ところがである。人生に切羽詰まってはじめた社会福祉。そこで悟ったような人間を目のあたりにする。
- 小食、無言、不動。一日中、ぼーっと平和な顔をしている。そして口を開けば短期記憶は壊滅的なのだが昔の事は覚えており半世紀前の教訓めいた話を始める。
- 「両親を大事にしなさい」などとたしなめられる。
- そう認知症の高齢者である。
- 彼、彼女は自分では食事ができない。生活全般に補助が必要である。
- 「悟りとは赤子のようになることじゃっ!!!」と喝を入れられそうな出来事に遭遇したのである。驚いた。
- 「あ、きっと悟りとはこんな状態なのだ」と直感的に思った。
- わたしの二十歳の頃を思い出した。京都の禅寺から帰りRitsを辞め帰郷するとそこにはすっかりボケた祖父がいた。
- 90歳ぐらいまでは元気に会社経営をして車を乗り回していたのだが、度々事故をするようになり免許を返上したという。そして会社からも手を引いた。
- するとすっかりボケてしまい家族の名前も覚えていない、徘徊を繰り返すようになってしまった。私のペットが蹴られた事もある。
- とんでもない事だ。面倒を見切れないということで施設に入所することになった。
- そうすると打って変わったように大人しくなり、ぼーっと平和そうな顔をしている。猫をかぶっているのだろうとその時は思っていた。
- 「おじいちゃんは癒し系ですよ」と介護職に言われたのが信じられなかった。
- 抗精神薬かもしれないが、もしかしたら老年期超越を迎えていたのかもしれないと今では思う。
- そう身近にいたのである。
- まるで「幸せの青い鳥」のような話だ。
- さて、以上だらだらと個人の体験を述べたが、悟りとは高齢者が老年期超越を迎えた状態ではないのかというのが仮説である。
- ブッタの行った修行は高齢者の生活を模倣し、終末期を意図的に作り出したことで脳が錯覚して老年期超越をもたらしたのではないかと推測している。
おわり